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趙姫 (荘襄王)[ちょうき]
趙姫(ちょうき、? - 紀元前228年)は、中国戦国時代の秦の王妃。姓および諱は共に不明である。 ==概要== 史書によると趙の出身であった(そのために「趙姫」と呼ばれた)。彼女は元々娼婦で呂不韋の妾であったが、秦の王子であった子楚の寵愛を受けて、紀元前259年に政を生んだ。 紀元前250年に秦に入国。紀元前249年に子楚が荘襄王として秦王に即位して王后、紀元前246年に荘襄王が死去して政が秦王になると王太后となった。彼女は性技に秀でており、秦の丞相に就任していた呂不韋や偽宦官として後宮に入ったと密通し、との間には2人の子が生まれた。 紀元前238年にがクーデターを決行したが失敗。激怒した政によりおよびとの間の2人の子は処刑され、彼女はに幽閉された。紀元前228年に死去し帝太后の諡が付けられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙姫 (荘襄王)」の詳細全文を読む
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